SEKAINO SUKUI!宗教修行10数年の悟りの境地

山に籠って10数年。ついに下山して世の救いために説いていきます。

何もないこと

何もないことはダメなことなのだろうか。

お金や持ち物、遊ぶところなどないと、卑屈に感じてしまう。

お金、持ち物、遊ぶところなどあると、自信を待ち、堂々としている。

ただお金、持ち物、遊ぶところなど、歳を取れば虚しく感じるのではないだろうか。

結局、地味な普通な日常が1番大切なのである。

何もない状態が続きすぎると哀れだが、何もないときも大切だ。

その瞬間を楽しむことが豊かさなのだと思う。

何もないことを感謝できる、楽しむことができる人になりたいものだ。

やさしさ

戦いにやさしさはいらないのか。

やさしさがあると、強くなれない。

厳しさ優先でなければならない。

だけど、厳しさだけでは怪我や分裂になってしまう。

優しさで補う人が必要である。

基本は優しいので、戦いの時は厳しいモードにならないといけない。

たるみさを打破して、別キャラになりたい。

分かる喜び

転職して一か月、最初は専門用語が多く、何を行っているのか分からず、不安と自己不足感で支配されていたが、だんだん分かるようになり、心のモヤモヤがとれ、成長を感じ、喜びを感じるようになった。

できないこと、知らないことができるようになり、分かるようになることは成長の実感を感じることができる。

できない、分からないことが悪いのではなく、それがあるからこそ、できるようになったとき、分かるようになったときに大きな喜びを感じるのである。

何事も捉えようだなと改めて思う。

スキルアップ

山から降りて成長する喜びを感じる。

山にいるときは、成長するという欲望を無くして、すべてをなくす方向に努力していた。

すべてに受け身になり、すべてを捧げ、すべてを感謝する生活を強いられてきた。

なので何も欲望はでず、生きていること、小さなことに感謝して、過ごしていた。

しかし、山を降りると、成長するのこと、積極的なこと、選択すること、改善することを求められる。

そこにはストレスや葛藤もあるが、成長ややり甲斐も存在するのだ。

目に見えない価値を価値視してきたが、目に見える価値を価値視していきたい。

お金、給料、資格、能力などなど、、

こちらも人の幸せには重要な指標なのだと思う。

扶養

会社に扶養されているようではダメである。

自分で稼ぐようにならないといけない。

そんなプレッシャーを感じている。

研修を受けて一か月、だんだん一人立ち、中途、三十代の圧がきた。

周りは何十年も先を行っている。

私は今まで何をしていたのだろうかという思いになる。

また、趣味や世間話についていけず、変な人感が出てしまう。

孤独を感じる。

ただこういう状況は山を降りる前から分かっていたことだ。

今まで山に籠っていた分だけ、下山したときに浦島太郎になるのだ。

後輩から尊敬され、先輩から一目おかれる立場に立ちたい。

そのためには人の3倍くらい、頑張らないといけない。

入社して一か月、、3ヶ月分の成果は出せただろうか?

残り一か月で半年分の成果を出していきたい。

営業

初めて全営業所の若手メンバーと顔合わせした。

製造部とは違い、コミュ力が高そうで、油断ができない感じがする人が多かった。

利益をめぐる、熾烈な争いをしている人達だと改めて思った。

山の上で現実逃避をして、仙人生活をしていた自分などとても太刀打ちできない立場だろう。

なぜ自分はここにいるのだろうか。

不思議さを感じながら、この中での競争が始まる。

新しい出発である。

 

規格

多くの人とコミュニケーションをとり、仕事を共に行うためには、共通のルールが必要である。

そうでないと、それぞれがバラバラのものを作り出し、効率が悪くなる。

一人でやるより、チームでやった方が、相乗効果が生まれるからである。

そのためにお互いが納得できる、共通のルールが必要だ。

その規格作りや修正がもっとも大切な作業だろう。

それを作るのが政府であり、大学であろう。

また公的機関もしくは、そこから依頼された公共性が高い企業である。

その立場に立てば、ゲームチャンジャーとなり、特権を待つことができる。

いかにその立場に立てるかが重要だろう。