何もないことはダメなことなのだろうか。
お金や持ち物、遊ぶところなどないと、卑屈に感じてしまう。
お金、持ち物、遊ぶところなどあると、自信を待ち、堂々としている。
ただお金、持ち物、遊ぶところなど、歳を取れば虚しく感じるのではないだろうか。
結局、地味な普通な日常が1番大切なのである。
何もない状態が続きすぎると哀れだが、何もないときも大切だ。
その瞬間を楽しむことが豊かさなのだと思う。
何もないことを感謝できる、楽しむことができる人になりたいものだ。
何もないことはダメなことなのだろうか。
お金や持ち物、遊ぶところなどないと、卑屈に感じてしまう。
お金、持ち物、遊ぶところなどあると、自信を待ち、堂々としている。
ただお金、持ち物、遊ぶところなど、歳を取れば虚しく感じるのではないだろうか。
結局、地味な普通な日常が1番大切なのである。
何もない状態が続きすぎると哀れだが、何もないときも大切だ。
その瞬間を楽しむことが豊かさなのだと思う。
何もないことを感謝できる、楽しむことができる人になりたいものだ。
戦いにやさしさはいらないのか。
やさしさがあると、強くなれない。
厳しさ優先でなければならない。
だけど、厳しさだけでは怪我や分裂になってしまう。
優しさで補う人が必要である。
基本は優しいので、戦いの時は厳しいモードにならないといけない。
たるみさを打破して、別キャラになりたい。
転職して一か月、最初は専門用語が多く、何を行っているのか分からず、不安と自己不足感で支配されていたが、だんだん分かるようになり、心のモヤモヤがとれ、成長を感じ、喜びを感じるようになった。
できないこと、知らないことができるようになり、分かるようになることは成長の実感を感じることができる。
できない、分からないことが悪いのではなく、それがあるからこそ、できるようになったとき、分かるようになったときに大きな喜びを感じるのである。
何事も捉えようだなと改めて思う。
山から降りて成長する喜びを感じる。
山にいるときは、成長するという欲望を無くして、すべてをなくす方向に努力していた。
すべてに受け身になり、すべてを捧げ、すべてを感謝する生活を強いられてきた。
なので何も欲望はでず、生きていること、小さなことに感謝して、過ごしていた。
しかし、山を降りると、成長するのこと、積極的なこと、選択すること、改善することを求められる。
そこにはストレスや葛藤もあるが、成長ややり甲斐も存在するのだ。
目に見えない価値を価値視してきたが、目に見える価値を価値視していきたい。
お金、給料、資格、能力などなど、、
こちらも人の幸せには重要な指標なのだと思う。
会社に扶養されているようではダメである。
自分で稼ぐようにならないといけない。
そんなプレッシャーを感じている。
研修を受けて一か月、だんだん一人立ち、中途、三十代の圧がきた。
周りは何十年も先を行っている。
私は今まで何をしていたのだろうかという思いになる。
また、趣味や世間話についていけず、変な人感が出てしまう。
孤独を感じる。
ただこういう状況は山を降りる前から分かっていたことだ。
今まで山に籠っていた分だけ、下山したときに浦島太郎になるのだ。
後輩から尊敬され、先輩から一目おかれる立場に立ちたい。
そのためには人の3倍くらい、頑張らないといけない。
入社して一か月、、3ヶ月分の成果は出せただろうか?
残り一か月で半年分の成果を出していきたい。
多くの人とコミュニケーションをとり、仕事を共に行うためには、共通のルールが必要である。
そうでないと、それぞれがバラバラのものを作り出し、効率が悪くなる。
一人でやるより、チームでやった方が、相乗効果が生まれるからである。
そのためにお互いが納得できる、共通のルールが必要だ。
その規格作りや修正がもっとも大切な作業だろう。
それを作るのが政府であり、大学であろう。
また公的機関もしくは、そこから依頼された公共性が高い企業である。
その立場に立てば、ゲームチャンジャーとなり、特権を待つことができる。
いかにその立場に立てるかが重要だろう。