SEKAINO SUKUI!宗教修行10数年の悟りの境地

山に籠って10数年。ついに下山して世の救いために説いていきます。

相手のキャパ

どんなにこちらがやってあげたいことがあっても、相手が疲れていたり、いっぱいいっぱいになってしまったら、それは逆効果になる。

仮に自分が相手に与えることがとても喜びで、与えられないことがフラストレーションになる場合、1番与えたい相手が、受けることが苦手で、受けることに遠慮し、負債を感じる人、もしくは与えることの方が嬉しい人であった場合、最悪の組み合わせになるだろう。

その場合どうしたらいいのだろうか。

今は最悪でも時間をかけて、お互いを尊重して、変化していくことしかないのだろうか。

その尊重することが与えることであり、受けることであるのだろうか。。

思うようにならない寂しさ

自分ではとてもいいこと、嬉しかったこと、感動したことなんだけど、それを話したら、フーンといった反応で、共感できなくて寂しかった。

もっとも分かってほしい、共に喜んでほしい人から、思うようにならないと、とても寂しい気持ちになる。

満たされなくて、何かで満たしたくなる。

寂しいことは耐えられない。

期待が大きいだけ、それが叶えられないと寂しさを感じる。

何事にも希望を持たず、諦めて、冷めて生きていれば、寂しさも出てこない。

自己防衛反応で、そのような選択をしているのか、、

それにしても一度しかない人生なのだから、もう少し希望を持って生きてもいいのに、、

イノベーション

古い業界だが、別の業界や海外を経験した人が改革を起こしている。

ITを駆使して、業界の常識を打破して、新しいルールを作っている。

そんな人がいるのかと力をもらった。

あまりにも古い体質に絶望感を感じていたが、どこかに改革者がいるのだなと思う。

その存在に便乗しながら、自分ができる改革を行っていきたい。

それこそが若者であり、未来を築く精神であると思う。

一人立ち

上司に技術職で頑張りたいと伝えると、急に職場の期待感があがり、緊張がました。

教育担当の教え方も大雑把になってきて、一人立ちが願われているのを感じる。

より活躍したいがゆえに、自分でプレッシャーをかけにいったので、しょうがないが少し不安になる。

自分が招いた結果なので、しょうがないが。。

成長とストレスは比例するなと思う。

無理にしすぎないよう、ほどほど頑張っていきたい。

技術職へ

今後、営業として活躍するために、いきなり営業職からではなく、技術職をお願いしたいと上長に相談したら、来月から技術職として働くことになりそうだ。

すぐに立場を変えられるトップダウンと柔軟さに驚いた。

トップダウンは嫌なものだとよく言われるが、柔軟さはあるのだなと思わされた。

中途で入ってきているので、普通にしていたら、活躍できない。

何か強みを持たないといけない。

コミュスキなど可視化しにくいものは、説得力がない。

営業成績も、個人というより、その場所や時代に左右されやすい。

ならば分かりやすい資格、専門スキルに集中するのが1番だ。

ただ専門家としての道は今頃、やっても追いつかない。

なのでそれを土台とした管理職がいいのではないかと思う。

山を降りて、自分を価値化する物差しがない。

出世や給料などで自分を誇りにしたい思いが出る。

それが山を降りるということか、、

話ができる

営業するためには相手と話が合わないといけない。

相手が専門知識を持っているなら、こちらも専門知識がないと話にならない。

相手が雑談好きなら、こちらも雑談できなきゃ、話にならない。

相手に通じてこそ、仕事ができるものだ。

これはどこの業界でも言えることだろう。

相手に通じてこそ、喜びが力が出てくる。

通じなければ、イライラするだけだ。

通じる人になっていきたい。

あっという間

時が立つのが早い。

山を降りてから半年。

あっという間に日々が終わっていく。

人生で大きな決断をした分、これでよかったのだろうかという不安も出てくる。

目に見える実績が必要である。

下界に慣れるのに精一杯で、まだまだ余裕は出てこない。

漠然とした不安に駆られる。

しばらくは不安をなくすための日々が続きそうだ。

しかし、同時に夢を持ちたい。

ただ生きているだけ以上に、尊い意味を、やり甲斐を欲するのだ。