宗教の中に没頭すると、宗教が魂の拠り所となり、その価値観から離れたくない思いになります。
宗教から出た価値観は、対立的なことが多いため、自然と関わらないようになります。
よって、山に籠る人と、下界の人と分断されるようになります。
どちらがいいとは言えないと思いますが、両方を橋渡しする人も必要でしょう。
お互いを通訳する人もいないと、お互いは自然と壁を作り、偏った価値観になり続けていくでしょう。
私は16年も山に籠り続けました。このまま永遠に籠り、家族や友人や下界の人々にも山に一緒に籠ってほしいと願いました。ただ誰も籠ってくれませんでした。ますます孤独になり、更に籠るようになりました。
ただある時思ったのです。
私は家族と一緒に幸せになりたいと思って、山に籠ったのに、今のままでは逆の結果ではないか。16年も籠ったのだから、これからは私が山を降りて、悟りの境地を背中で示していくべきではないのかと。
とても勇気がいることでしたが、祈れば祈るほどそう思わずにはいられませんでした。
今の私は同じ宗教仲間からは裏切り者か理解できない人のように見えるかもしれません。
また下界の人からも16年も山に籠って、理解できない人、人生を失敗した人だと見えるかもしれません。
今の私は最も孤独であり、最も神にすがらざる得ない、祈らざるを得ないときです。
宗教者が下界で生活するときこそ最も宗教が試されるときでしょう。
私の成功をどうかお祈りください。