信仰深い人ほど、神がいないと気付いたときのショックは大きいだろう。
信仰とは盲目であるともいえる。
現実逃避して自分の都合のいいところだけを受け入れる能力がついてくる。
そのような生活を積み上げ続けるほど、自分の中での矛盾も大きくなってくる。
もしかしたら都合のいいところばかり信じて、現実逃避していたのではないか。
もしかしたら神はいないのではないかと悩むのだ。
その代表例が最も神を信じたと言われるイエスキリストである。
彼は神を信じたがゆえに死刑に処せられ、最後息を取る直前で、我が神よ、どうして私をお見捨てになられたのですか?
と嘆かれたのである。
ただ彼はその後に、すべてを委ねますと添えている。
彼の生き様を見ていると、信仰すればするほど、神がいないのではないかと思う境地に達することが分かる。しかし、真の信仰者はその試練を超えて神を信じるのである。たとえ生きているときに何も報われなくとも。
信仰者の人生は悲惨である。
その信仰者を見つめる神はどうだろうか。
自分をそこまでして信じてくれる存在に何もすることができない。
自分を信じることでそのような運命を行かせなければならない神の立場は最も悲惨だと言えるかもしれない。