夫婦、家族とは特別な存在だとしたい。
他人ではなく、同一に近い人物だとしたいのだ。
自分の苦しみを分かち合い、喜びを分かち合うことができる存在がいるとするならば、どれだけ有難いことだろうか。
しかし、そんな存在を願い、信じているのに、そうならないときに葛藤や要求が湧き出てくる。
家族なのに、夫婦なのに、どうして分かってくれないのか。
例えば根本的な性格の違いに直面したときに、やるせない思いになる。
ここは大雑把に考えて、細かいことを気にしない方が良い。
いや、ここは繊細に考えて、立ち止まって考えた方がいい。
どちらもその人なりのロジックの中で考えているので、分かりあうことはできない。妥協だけである。
では家族とは、夫婦とは何だろうか。
それは似たところもあるが、似ないところ、分かり合えないところがある者同士が助け合い、補いあって生活しようとする共同体といったところか。
助け合い、補い合うところに喜びを感じる人と、人の助けを借りたくない、助け合うよりも自分でやった方がストレスなくていい、こう思う人は結婚や家族を重視しないだろう。
人の助けを求めることは、人から騙されやすい、被害を被りやすいということだ。
また、人との競争に負けやすい、置いていかれやすいということだ。
どういう自分になるのか、どうすれば幸せになるのか、それは賭けのようなものかもしれない。