3日目までである程度今後の型が見えると言ったが、うまくいかない現実を見ると、先が思いやられる。
舐めてかかっていたことがよく分かった。
10数年も1番価値があると思い、山に籠り、悟りを得た。世に伝えよう、示そうと思って、山を降りたのだが、世の中は甘くないのだ。
私たちは下界で何年も仕事を頑張ってきたのに、あなたは何をしていたの?と言わんばかりだ。
変にプライドや拘りばかりが強くなり、現実問題に対して何もできないのはあわれだなと思う。
これが宗教の弊害か。
山にいるときは無敵のように思うが、山を降りたときに、敵に囲まれた哀れな子鹿のような気持ちである。
清らかな気持ちでいれたのは、修行もあるが、そこに敵がいなかったからでもあるのだ。
しかし、それでも山に戻ってはなるまい。
三日坊主にはならない。
せめて三ヶ月、三年は必要である。
敵がいるような環境でも慌てず、余裕を持てるだけの心と武器を持ち、その敵を応援するぐらいの実力を持ちたい。
それが天下統一ということだろう。