SEKAINO SUKUI!宗教修行10数年の悟りの境地

山に籠って10数年。ついに下山して世の救いために説いていきます。

4日目

3日目までである程度今後の型が見えると言ったが、うまくいかない現実を見ると、先が思いやられる。

舐めてかかっていたことがよく分かった。

10数年も1番価値があると思い、山に籠り、悟りを得た。世に伝えよう、示そうと思って、山を降りたのだが、世の中は甘くないのだ。

私たちは下界で何年も仕事を頑張ってきたのに、あなたは何をしていたの?と言わんばかりだ。

変にプライドや拘りばかりが強くなり、現実問題に対して何もできないのはあわれだなと思う。

これが宗教の弊害か。

山にいるときは無敵のように思うが、山を降りたときに、敵に囲まれた哀れな子鹿のような気持ちである。

清らかな気持ちでいれたのは、修行もあるが、そこに敵がいなかったからでもあるのだ。

しかし、それでも山に戻ってはなるまい。

三日坊主にはならない。

せめて三ヶ月、三年は必要である。

敵がいるような環境でも慌てず、余裕を持てるだけの心と武器を持ち、その敵を応援するぐらいの実力を持ちたい。

それが天下統一ということだろう。