周りが当たり前のようにできることができない。また理解するのが遅い、やるのに時間がかかる。
これは一見ついていけていないダメな人だと見えるだろう。
しかし、これは逆を言うと、まわりのひとか゛
て゛きないことができる、気付くことができる可能性があるということでもある。
少し昔であればこういう人は淘汰され、芸術や学問など特殊な分野に押し込まれて、そこでのみ価値を発揮することが多くかったであろうが、今は多様性の時代で、そんな人でもいろんな環境で受け入れようとするのである。
ゆえに様々な分野で新しい気付き、発展の可能性が出てきたともいえる。
屁理屈だが、今の私はまさにそういう存在である。
山で修行しており,いい歳した、社会人経験0の人を誰が採用するだろうか。
何もできない役立たずを誰か受け止め,励まそうとするだろうか。
なんだかんだで、今の私は受け入れられ,励まされている。
だからこそ周りに新しい気付きを与えることができる存在ともいえるのである。